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新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 5節 わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 6節 そして、かの「重だった人たち」からは――彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。神は人を分け隔てなさらないのだから――事実、かの「重だった人たち」は、わたしに何も加えることをしなかった。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 7節 それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音をゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 8節 (というのは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒の務につかせたかたは、わたしにも働きかけて、異邦人につかわして下さったからである)、 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 9節 かつ、わたしに賜わった恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べた。そこで、わたしたちは異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのである。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 10節 ただ一つ、わたしたちが貧しい人々をかえりみるようにとのことであったが、わたしはもとより、この事のためにも大いに努めてきたのである。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 11節 ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 12節 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 13節 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 14節 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 15節 わたしたちは生れながらのユダヤ人であって、異邦人なる罪人ではないが、 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 16節 人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 17節 しかし、キリストにあって義とされることを求めることによって、わたしたち自身が罪人であるとされるのなら、キリストは罪に仕える者なのであろうか。断じてそうではない。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 18節 もしわたしが、いったん打ちこわしたものを、再び建てるとすれば、それこそ、自分が違反者であることを表明することになる。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 19節 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 20節 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:2章: 21節 わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:3章: 1節 ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのか。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:3章: 2節 わたしは、ただこの一つの事を、あなたがたに聞いてみたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。 |
新約聖書:ガラテヤ人への手紙:3章: 3節 あなたがたは、そんなに物わかりがわるいのか。御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか。 |
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